備忘録、的なもの

本との日常 購入日記その他

2021.3.14

戦後責任論 高橋哲哉 講談社学術文庫

②老妻だって介護はつらいよ 沖藤典子

③新潮日本文学アルバム 幸田文

④最愛の子ども 松浦理英子 文芸春秋

⑤エンド・オブ・ライフ 佐々涼子 集英社

ナチュラル・ウーマン 松浦理英子 河出文庫

⑦終わりなき日常を生きろ 宮台真司 ちくま文庫

江藤淳は甦える 平山周吉 新潮社

 

昨日今日とで適々斎塾のwebinarがあった。開業医のと銘打って置きながらレベルが高いのである。今回はニッチな分野に絞った感じで面白かった。また参加しよう。

終わった後で夕飯もかねて外に出かけ、買ったのが上記。

加藤典洋の「敗戦後論」の参考文献として。

ブックオフでちょろちょろ見ていた際に、サイン入りが転がっていた。この方の本はいつか読もうと思っていてということであったので、近くの新刊本屋で⑥を購入。

⑤前記webinarにて矢吹先生が褒めていた本。たまたま見かけたため購入。始めのところはこの類の本でよくある書き出しであったが、果たしてどんな読後感へもっていってくれるのか。

⑧いつか買おうかなあと思って見送ってきたものであったが、この間ジュンク堂池袋に行った際、6階でやっている与那覇潤書店の中に並んでいた。江藤淳全集は出ることあるだろうか。いや、分量もそうだし、その業績をまとめられる人もいないであろう。"生き埋め"状態はしばらく続くだろうな。

2021.3.10

①ケースでわかるリウマチ・膠原病診療ハンドブック 羊土社

②内科開業医のための循環器診療プラクティス メディカ出版

 

アマゾンで今日届いた。

①最近発売された。某先生がtwitterで褒めていて、この間立ち読みし悪くなかったので、まあいつか買うかと思っていたところで②を購入することになったのでそのついでに購入。リウマチは中々難しい。しかも見たことがなければなおさら難しい。しかしそもそも知識が入ってないと診断もできない。勉強しよう。

②学生時代、初期研修で循環器を疎かにし、総合診療分野に入ってからはやはりこてこての循環器症例については循環器内科へという感じのスタンスでやっていたので、どうも苦手である。明らかに変なものであればすぐに送るという行動はとれるが、安定型狭心症、かもなぁみたいなものが一番厄介で、専門医にすぐ紹介できる距離でもなく、かといってほっといてよいわけでもなく、といった感じでいつももやもやなのである。ということで買ってみたが、若干失敗した感があり。どうも循環器の本で総診向けのよい本がないんだよなあ(やっぱHospitalistしかないのかなあ、早く不整脈編でないかなあ)。

 

これらとはまた別なはなし。今日昼休みに医局の机の上にあった「Hoppenfeld 整形外科医のための神経学図説 原著第2版整形外科医のための神経学図説(原書第2版): 書籍/南江堂 (nankodo.co.jp)」をふと手に取ってみて、図がきれいなのと、解剖やら症状やらが明快に書いてあって引き込まれ、そのまま午後診がヒマであったこもあり全部一気読みしてしまった。上下肢の神経解剖や神経根障害が苦手な人にはすごくおススメである(そういえば、上記①の第1章で、萩野先生がHoppenfeld先生の「図解 四肢と脊椎の診かた」を参考文献に出していた。こちらは絵が古いのがネックだが、非常にわかりやすい本である。なんか奇遇だなと思ってしまった)。

2021.3.6/7

①現代史の課題 亀井勝一郎 岩波現代文庫

吉田健一の時間 清水徹 水声社

武田泰淳伝 川西政明 講談社

藤枝静男著作集 講談社

⑤菊灯台 澁澤龍彦 平凡社

⑥獏園 澁澤龍彦 平凡社

⑦希望について 立岩真也 青土社

 

結局、この週末も古本市には何とか行くことができた。②-④が三省堂古書展、⑤-⑦が彩の国古本まつりにて。

九曜書房の棚に吉田健一関連の本が大量に転がっていて、その中から。清水徹吉田健一について書いた文をまとめたもの。集英社から出ていた集成の解題は収録されていないが、それは持っているので別にいい。

④同じく九曜書房に「藤枝静男著作集」がバラで転がっていた。その中を見てみると、扉写真のところに落款があった。しかし、どこかふざけたような印でもあり、前所有者が押したものともとれないものであった(とくに、katumiと書かれた印)。それで、別の書店のところに全巻セットで転がっていて、そこにも落款入りみたいな記載がされていた。状態が良いものしか置いていない書店であったので、レジで中身を確認してみると、状態が良いのは当然なのだが、扉の落款もバラで見たやつと同じであった。ので買うことにした(katumiって何だろうと思ったら、藤枝静男の本名が勝見次郎なんだそうである。そういうことね)。ちなみに著作集に載っている署名と、以前購入したものに記載されていたものと酷似しているので、以前購入したものはおそらく本物でよかったのであろう。良い買い物をした。というか、こういうことがあるのであれば、今度から気を付けて棚をみてみるものだな。

⑤⑥ホラー・ドラコニア少女小説集成の中のもの。挿絵も秀逸である。以前購入した「狐媚記」が良かったので他の巻も探していたのであった。

というわけで、今回は時間がなく高円寺には寄れなかったが、計3日通って概ね満足な結果であった。しばらく読む方向でやっていきましょう。

拾い読みから

ちょうど昨日買った「大岡信著作集」を拾い読みしていて、面白かったところがあったので拾い書きしておく。

 

まずは13巻の「自己発見の方法の発見」から。著作集だけあって、全巻に談話方式の自己解題が巻末に載っている。青土社から出版されている雑誌ユリイカに再刊当初から連載していた文学的断章がどうやって始まったかという話もあって興味深い。

 

(前略) つまり現代は、印刷物の量がとても消化しきれないくらい増えている時代です。人文科学系統の書物だけでも、二十年前に比べたら、その領域の拡がりと種類の多様化はお話にならないくらいにはげしいし、論文などの特殊専門化は大へんなものですね。そして術語の氾濫。そういう要素を全部ひっくるめて、現在ものを読むということが非常に重荷になってきていると思うんです。僕などが元来が単細胞にできていますから、専門用語を駆使して片カナ術語がポンポンとびだすような文章に出会うと、一目でうんざりという感じになるわけです。その手の論文や議論文は、よほど文章のうまい人が書いても、読者を過度に緊張させるという性質があるわけですね。
ところが困るのは、過度の緊張にさらされている頭脳ってやつは、ある点を超えると今度は突如として反知性的な、情念的な衝動にとりつかれることがあるんです。少なくとも日本ではそういう傾向が、芸術、文学や思想に関心を持つ人々のかなりの部分に見られるんですね。僕は自分にもそれがあると思うから、そういうのを見るとひどく嫌な気持ちになります。文章には知的な核と余裕が必要だと思う。その核が崩れてしまうような時には、文章は綴らない方がいい。
現代は人を緊張させるタイプの文章が多くなっていると思うんですけれども、僕の「断章」という文章は、そうでないものでありたかった。内容全体としてはそういう要素をもっている場合でも語り口はそうでなくしたいと思って工夫しました。隙間がいいろいろあいているようなものにしたのはそのためです。
ある文章の塊が途切れたところで別の塊に飛躍する。いくつかの塊をつなぎ合わせてみると、そこにひとつの主題なり、僕の書きたいある世界が出来上がっている。(後略)
大岡信著作集13巻 p520-521

 

昨日の件もあってか、妙に身にしみるような感じ。「知的な核と余裕」を持った文章を書くのは難しい。そしてそれを144字で表現するのは困難である。

 


さて、以下はまた別のところ。14巻の「年魚集」の断章Ⅹ、若山牧水についてのところから。

若山牧水の追悼号に載っていた、最期を看取った医師による病床日記に大岡は感動したらしく、本文が引用されている。今の時代であればそんなものはプライバシーやら倫理的やらで問題になって書けないだろう(だから臨床小説が流行っているのかな)。

しかし、自分が感心したのは、その点ではなく(いや、その点も感心ポイントではありましたよ)、医学的な面から(それが商売なもので・・・)。「初診時所見及ビ永眠迄ノ経過」より抜粋。

 

自覚的症状トシテハ下痢、食欲不振、胃部圧重、不眠、知覚過敏ナドヲ訴ヘラル。

他覚的症状トシテハ胸部内臓ニ於テハ新ニ特記スベキ症状ヲ認メザリシモ、腹部ニ於テハ一般ニ稍膨満シ、肝臓腫大ス。打診上肝臓濁音界ハ増大シテ右乳腺ニ於テ第五肋骨下縁ヨリ純濁音部トナリ、季肋弓ヲ超エテ下方ニ延ビ、比較的濁音部ハ季肋下約三横指ノ所ニ及ブ。触診上肝下縁ヲ触レ、稍扁平硬固ナレドモ純性ナリ。未ダ脾腫ナク、黄疸、腹水等モ認メラレザリキ。痔核及ビ脱肛アリ。反射機能ハ高度ニ亢進ス。両手指骨関節部ノ背面ニ於テ一面ニ黒色ノ色素沈着ヲ見ル。体温三十六度五分、脈搏八十至、最高血圧一三〇粍水柱、最低血圧八〇粍水柱ナリキ。

尚酒精中毒ノ症状顕著ナリキ。

大岡信著作集14 p338-339 

 

いやあ、100年前の医師の記載ですよ、これが。今であれば、画像やエコーへのアクセスが近いから、ここまで丁寧にとるものかどうか。というかこの時代でここまできちんとやっていたのか!

この後病状経過の記載が続くのであるが、症状についてきちんとポイントを押さえて記載されていて、約100年後に読む身としては驚異である(しかもアルコール離脱という概念はなかっただろうに)。やけに頻脈であったり、振戦があったり、意識朦朧時に酒を飲むと意識変容がすぐに回復してというところはまさにアルコール離脱症状そのものであり、読んでいてありありと情景が浮かぶ。死因はアルコール性肝硬変と急性胃腸炎とのことであった(が、胃腸炎の方はクエスチョンである。むしろ、アルコール性ケトアシドーシスである気がする。その当時にはその概念自体がなかったのであろうが)。

そういえば、以前何かのウェブセミナーでリウマチ膠原病科の陶山先生の講義で、昔の論文の身体所見の記載についてというのでひどく感心した記憶がある。昔の人から学ぶことは多い。

昔の医師ですらきちんとしている人はこのような感じであるから、自分の襟を正さなければならないと改めて思った次第でありました。

昨日気軽にリツイートした件について少し反省。

 

よくよく考えてみれば、本でしか知らないような有名な人で、普段面識もなく、学会で同じ会場にいたとしても直接話かけるかといえばそうではないだろう人に対して、いきなりぶしつけなことを言うか・・・。言わないわな。ふつうは。

 

しかしそれが気軽にできてしまうのがSNSである。しかも顔が見えるわけでもなく、匿名で適当なことを言える。顔が見えないが故に相手がどういう意図で、しかもどういう口調で言っているのかがつかめない。自分で想像するしかない。ということは文脈を読む力が弱い人は"呟き"に対して、呟いた人が意図しなかった意図を読み取りうる。もしくは前後関係のない文脈で意図的に呟きを切り取りうる。

 

リツイートに対して反応しないだろうと思っていたのが計算が違った。しかもどういう人物なのか実物がわからないから、文章だけ見ると居丈高に見える。なのでこっちもイラっときてしまった。というか、誰に対してのつぶやきであったのかそもそも。

もともと、ツイッターに対しては懐疑的な印象を持っていた。"呟く"という言葉自体、そもそもやや病的である。路上でぶつぶつ呟いている人に対して、誰が反応するか。遠目から見られるのが落ちである。インフルエンサーであれば、フォロワーに対してという想定対象がいる(しかも、基本的に自分の意見に同調してくれる"はず"である)からまだしも、誰に向けるでもない"呟き"はやはり病的である。そして、自分の意見がいつでも正しいとは限らない。裸の王様かもしれない。しかし、普段の生活で鬱屈しているものを放出するという点ではよいガス抜きになるかもしれない。

 

医師についても、論文を紹介している人、啓蒙活動をしている人、宣伝をしている人、ストレスのはけ口で普段言えないことを言っている人、ネタに走っている人、自分の主義主張を正しいと信じている人、いろいろいる。

自分と感性の合わないツイートに関しては何も言わず距離を置くべきである。目に毒であり、気分に対しても障害を与える。リアルな世界ではそうではないか。

 

ということにふと気づいた次第である。少し距離を置いて利用しよう。

2021.3.3

石川淳論 立石伯 オリジン出版センター

②知の狩人 続・二十世紀の知的冒険 山口昌男 岩波書店

大岡信著作集全15冊のうち8巻以外 青土社

 

ついに、所沢の彩の国古本祭りが始まった。

しかし、所沢までの距離が遠いので普段は行くとすれば土日くらいしかできなかったが、なんと今回は都合のよいことに当直明けであった。早めに仕事を切り上げさせてもらい、急いで所沢へ。何とか終了まで1時間切ったあたりの時間で会場に到着できた。

普段なら3時間くらいかけて全書架を2周して見て回ってという感じであるが、今回はそんな時間的余裕はなく、一期一会で決めようという感じであった。その中で見つけたのが上記。

①とある本屋の棚で、石川淳関係の本が少しまとまっていた中に並んでいた。出版社は聞いたことがなかったところであるが、作者は講談社文芸文庫で解説をよく書いている人である。本の状態もよいし、中身はあまり吟味せず、期待して買った。

②続でない方はとうに持っていたのだが、こちらはなかなか状態が良いのが見つからなかった。ようやく今回見つかった。

③逍遥館の棚を見ていて、一見すると全巻そろっているように見えたことから後付けの値段をみてみると、一冊300円であった。箱は一部壊れたり汚かったりしているが、本体は状態よく、読む分には問題なし。1周して戻ってきて見てみると8巻だけ抜けていた。書店主曰く部数が多いからこの値段とのことであり、8巻収録の「たちばなの夢」自体は持っているしもう読んだから(「紀貫之」は、まあいいや)、気長に探せばいずれどこかの古書展で見つかるだろう。まとまって購入するにはいい機会だということで購入した。

やはり、何かないかなあとうろうろして探すのは楽しいものである。当直明けの疲れはぶっ飛んだ。

2021.2.27/28

蜜のあわれ/われはうたえどやぶれかぶれ 室生犀星 講談社文芸文庫

②少女架刑 吉村昭 中公文庫

③透明標本 吉村昭 中公文庫

④蒐集物語 柳宗悦 中公文庫

⑤板極道 棟方志功 中公文庫

⑥本が崩れる 草森伸一 中公文庫

⑦心と他者 野矢茂樹 中公文庫

⑧かげろうの日記遺文 室生犀星 講談社文芸文庫

⑨春夏秋冬 生島遼一 講談社文芸文庫

⑩レジデントのための心エコー教室 日本医事新報社

⑪栄養療法ドリル 羊土社

⑫価値に基づく診療 VBP実践のための10のプロセス MEDSi

⑬上部消化管内視鏡診断㊙ノート 医学書

 

①⑧金曜日に救急が途切れてしばらく暇であったため、何の気はなしにネットサーフィンをしていた。その時何を思ったか、青空文庫を開き、作家名をだーっと見ていた。その中で、室生犀星があったので、クリックした。「杏っ子」は長いからさすがにまだ載っていないようである。あ、「蜜のあわれ」があるな、読んでみるか、と思って読みだしたのが運のつき。最初の感じはなんじゃこりゃ、そして、これを晩年で書いていたのか???という疑問。全編会話体の小説で、縦型スクロールで読み続けるのは困難と判断した。帰宅後、手元にある"日本文学全集"の類を探してみたが、室生犀星集はなく(というのも、以前新潮社版の「室生犀星全集」を持っていて、それを機におそらく文学全集版は不要と思って売ったか捨てたかしたのであろう。しかし、引っ越しの際に何を思ったかその全集を手放したのであった(そういえば梅崎春生全集もその時手放したのであった。結局今になって買ってるんだから始末に負えない))、まだ講談社文芸文庫版が絶版になっていないことを確認し、購入したのであった。まだ「蜜のあわれ」は読途中である。その文庫本に「陶古の女人」という短編も入っていて、陶器に対する情熱を語っているようで、結局犀星自身のの文学観を語っていてそれが非常に面白い(しかしほぼ改行なし地の文が延々と続くため、やはり縦スクロール横文字で見るのは苦労であったろう。文庫を買ってよかった)

②-⑦近所の書店で中公文庫在庫僅少フェアをやっていて、それで購入。④については汲むところ多く、後に何か書くかもしれない。

⑨ ⑧購入時に何となく見つけてしまったものであるが、やはり実際に本屋に出かけると思いがけないものを見つけるから楽しいものである。