備忘録、的なもの

本との日常 購入日記その他

ポーの大鴉と訳文三種について


大鴉 
エドガー・アラン・ポー作 日夏耿之介訳 野田書房刊 1935年
130部限定

 

高橋啓介「限定本彷徨」でも取り上げられていたものがようやく手に入った。うーむ素晴らしい。

大鴉の透かし入り


とはいえ、さっそく読んでみたものの、擬古文調の訳文で非常にとっつきにくく、一読したのみでは歯が立たず。
wikipediaを調べてみたところ、何となく大意はつかめたような気がしたが、参考用として「ポー詩集」阿部保訳 新潮文庫と「ポオ 詩と詩論」福永武彦他訳 創元推理文庫を本屋へ行き追加購入。岩波文庫でも出ていたようだがそれは見つからず。


新潮文庫の「ポー詩集」の表紙は柄澤斎である。味のある版画である。詩についても行間等をよく図っている印象であり、読みやすい。値段の割に薄すぎるのが難点。
創元推理文庫版は詩の他に詩論が数篇入っており、ボリュームと値段のバランスはよい。しかし、大ボリュームを1巻に収めているので詩の行間がぎちぎちであり、どうも読んでいて感興が薄い。結局どちらがよいのやら。
さて、三篇比べて読んでみたが、確かに印象が全く違う。

 

全部は書き出せないので一部のみ引用となるが

Then, methought, the air grew denser, perfumed from an unseen censer
Swung by Seraphim whose foot-falls tinkled on the tufted floor.
Wretch,❜ I cried, ❛thy God hath lent thee - by these angels he has sent thee
Respite - respite and nepenthe from thy memories of Lenore!
Quaff, oh quaff this kind nepenthe, and forget this lost Lenore!❜
Quoth the raven, ❛Nevermore.❜

の部分が印象が違って思えたので、この部分だけ三訳並べてみる。


かかる折しも 天人が搖ぐる香爐眼には見えね、そのたち燻ゆる香は籠りて、
大氣ますます密密たり、かの天人の跫音は床の花氈のふかぶかたる上に響きぬ。
儂聲あげつ、「忌はしや儂、神によりて處刑猶豫を賜びてけり。
この天人の使もつて、處刑猶豫を賜びたまひぬ―― ありし黎梛亞を
                   思ひ出にて愁を拂ふ金丹や處刑猶豫を。
あなあはれ 飲めかし甘し仙丹を 服しをはりて亡き黎梛亞をば忘れてむ。」
  大鴉いらへぬ「またとなけめ。」
                   日夏耿之介


それから私が思うのに、天人の振る目には見えない香炉から、香はのぼり、
空気は益々濃くなった、天人の足音は床の絨緞の上に響いた。
「薄命者よ」私は叫んだ、「お前の紙はお前にあたえた――これらの天使を使いにし
かれはお前に送った、休息を、レノアを思い出しての、愁を忘れる休息や憂晴らし。
飲めよ、飲め、ああこのやさしい憂晴らしを、そして死んだレノアを忘れよう。」
    大鴉はいらえた、「またとない。」
                   阿部保訳


そのとき空気は一層濃くなり、眼に見えぬ釣り香炉の香は立ちこめるかと思われた。
香炉を手に揺りながら。熾天使たちの足取は花むしろの床に涼しく響いた。
「馬鹿者が」私は叫んだ「神はお前に与え給うた――これら天使の手によって、
安息を――お前のレノアの思い出を埋めるべき一時の安息を。忘れ薬を。
飲め、おおこの情け深い忘れ薬を飲みほして、今はないレノアのことを忘れ去れ!」
     鴉は答えた。「最早ない」
                   福永武彦


どうだろう、全く印象が変わりはしないだろうか。どれがいいとははっきり言えないが、同じ原文でも訳すとなるとかまで変わってしまうのかと。
原文が読めればそれに越したことはないが、皆が皆読めるわけではないので、翻訳があるのはありがたい。しかし、解釈も翻訳者のものに依ってしまうので、感性が合えばいいものの、そうならなかった場合に、原文が悪いのか翻訳が悪いのかわからず拒否反応が出てしまうのは勿体ないというかなんというか。普段自然科学論文しか読まない主からしては、解釈が無限にありうる小説や詩はむつかしいものだなと改めて思ったのでありました。