備忘録、的なもの

本との日常 購入日記その他

拾い読みから

ちょうど昨日買った「大岡信著作集」を拾い読みしていて、面白かったところがあったので拾い書きしておく。

 

まずは13巻の「自己発見の方法の発見」から。著作集だけあって、全巻に談話方式の自己解題が巻末に載っている。青土社から出版されている雑誌ユリイカに再刊当初から連載していた文学的断章がどうやって始まったかという話もあって興味深い。

 

(前略) つまり現代は、印刷物の量がとても消化しきれないくらい増えている時代です。人文科学系統の書物だけでも、二十年前に比べたら、その領域の拡がりと種類の多様化はお話にならないくらいにはげしいし、論文などの特殊専門化は大へんなものですね。そして術語の氾濫。そういう要素を全部ひっくるめて、現在ものを読むということが非常に重荷になってきていると思うんです。僕などが元来が単細胞にできていますから、専門用語を駆使して片カナ術語がポンポンとびだすような文章に出会うと、一目でうんざりという感じになるわけです。その手の論文や議論文は、よほど文章のうまい人が書いても、読者を過度に緊張させるという性質があるわけですね。
ところが困るのは、過度の緊張にさらされている頭脳ってやつは、ある点を超えると今度は突如として反知性的な、情念的な衝動にとりつかれることがあるんです。少なくとも日本ではそういう傾向が、芸術、文学や思想に関心を持つ人々のかなりの部分に見られるんですね。僕は自分にもそれがあると思うから、そういうのを見るとひどく嫌な気持ちになります。文章には知的な核と余裕が必要だと思う。その核が崩れてしまうような時には、文章は綴らない方がいい。
現代は人を緊張させるタイプの文章が多くなっていると思うんですけれども、僕の「断章」という文章は、そうでないものでありたかった。内容全体としてはそういう要素をもっている場合でも語り口はそうでなくしたいと思って工夫しました。隙間がいいろいろあいているようなものにしたのはそのためです。
ある文章の塊が途切れたところで別の塊に飛躍する。いくつかの塊をつなぎ合わせてみると、そこにひとつの主題なり、僕の書きたいある世界が出来上がっている。(後略)
大岡信著作集13巻 p520-521

 

昨日の件もあってか、妙に身にしみるような感じ。「知的な核と余裕」を持った文章を書くのは難しい。そしてそれを144字で表現するのは困難である。

 


さて、以下はまた別のところ。14巻の「年魚集」の断章Ⅹ、若山牧水についてのところから。

若山牧水の追悼号に載っていた、最期を看取った医師による病床日記に大岡は感動したらしく、本文が引用されている。今の時代であればそんなものはプライバシーやら倫理的やらで問題になって書けないだろう(だから臨床小説が流行っているのかな)。

しかし、自分が感心したのは、その点ではなく(いや、その点も感心ポイントではありましたよ)、医学的な面から(それが商売なもので・・・)。「初診時所見及ビ永眠迄ノ経過」より抜粋。

 

自覚的症状トシテハ下痢、食欲不振、胃部圧重、不眠、知覚過敏ナドヲ訴ヘラル。

他覚的症状トシテハ胸部内臓ニ於テハ新ニ特記スベキ症状ヲ認メザリシモ、腹部ニ於テハ一般ニ稍膨満シ、肝臓腫大ス。打診上肝臓濁音界ハ増大シテ右乳腺ニ於テ第五肋骨下縁ヨリ純濁音部トナリ、季肋弓ヲ超エテ下方ニ延ビ、比較的濁音部ハ季肋下約三横指ノ所ニ及ブ。触診上肝下縁ヲ触レ、稍扁平硬固ナレドモ純性ナリ。未ダ脾腫ナク、黄疸、腹水等モ認メラレザリキ。痔核及ビ脱肛アリ。反射機能ハ高度ニ亢進ス。両手指骨関節部ノ背面ニ於テ一面ニ黒色ノ色素沈着ヲ見ル。体温三十六度五分、脈搏八十至、最高血圧一三〇粍水柱、最低血圧八〇粍水柱ナリキ。

尚酒精中毒ノ症状顕著ナリキ。

大岡信著作集14 p338-339 

 

いやあ、100年前の医師の記載ですよ、これが。今であれば、画像やエコーへのアクセスが近いから、ここまで丁寧にとるものかどうか。というかこの時代でここまできちんとやっていたのか!

この後病状経過の記載が続くのであるが、症状についてきちんとポイントを押さえて記載されていて、約100年後に読む身としては驚異である(しかもアルコール離脱という概念はなかっただろうに)。やけに頻脈であったり、振戦があったり、意識朦朧時に酒を飲むと意識変容がすぐに回復してというところはまさにアルコール離脱症状そのものであり、読んでいてありありと情景が浮かぶ。死因はアルコール性肝硬変と急性胃腸炎とのことであった(が、胃腸炎の方はクエスチョンである。むしろ、アルコール性ケトアシドーシスである気がする。その当時にはその概念自体がなかったのであろうが)。

そういえば、以前何かのウェブセミナーでリウマチ膠原病科の陶山先生の講義で、昔の論文の身体所見の記載についてというのでひどく感心した記憶がある。昔の人から学ぶことは多い。

昔の医師ですらきちんとしている人はこのような感じであるから、自分の襟を正さなければならないと改めて思った次第でありました。