備忘録、的なもの

本との日常 購入日記その他

生島遼一から上田秋成へ

・今日も日がな一日家で過ごす。というか起きたら昼だった。駅伝を眺めながら昼ご飯を食べ、駒沢大学が優勝し全校がゴールしたところでテレビに飽きる。twitterで某氏が生島遼一の「春夏秋冬」を読んでいるのを見、久しぶりに手に取ってみた。

・生島先生は京大で教鞭をとられていた方で、翻訳者としての方が有名だと思うが、何冊か随想集も出されている。フランス文学者であったはずだが、日本文学への造詣も深かったようで、随想集中には日本文学に対しての言及も多い(そういえば、鏡花に凝っていたようであり、「芍薬の歌」は鏡花からきていし、没後に鏡花で一冊本が出ている。全然関係ないが、京大仏文にいらっしゃった生田耕作先生も鏡花マニアでしたね)。自分も以前、講談社文芸文庫で「春夏秋冬」を買った後で、随想集の面白さに気づき、ぽつぽつ集め始め、下の写真のようになった。

家の中にあった生島遼一の本

・この中で一番古いのが一番右の「日本の小説」である。春夏秋冬2の末尾にも少し出てくる。後に朝日選書として再刊したときに数編追加されているので、頑張って新潮社版は探さなくてよいと思う。自分は西部古書会館で100円で転がっていたのを偶然拾いました。

・「春夏秋冬」を読み進めていくと、上田秋成の話が出てきた。佐藤春夫「あさましや漫筆」の話が出てき、興味をそそったので別室にある集英社文学全集の佐藤春夫の巻を見てみたが収録されておらず、青空文庫を見てもまだ登録すらされていなさそうなので、桃源社から出ていた「上田秋成」を注文してしまった。そういえば「雨月物語」もどんなものなのか、積読にしていて読んでいないわということで、角川ソフィア文庫を引っ張り出してきてそれを読み始めた。

・いやあ初めて読んだが面白かった。何故もっと早く読まなかったのか。ほとんどが中国の説話から引っ張ってきたものらしいが、日本風に換骨奪胎されていてあまり違和感を感じなかった。巻末の解説の元ネタ集というのを見たが、知らないものばかり。

賢明でものわかりのいい、そして文学鑑賞力のゆたかな読者は、それぞれの作品についても、それが何を典拠とし、その典拠がどのように翻案されているかということを読みとるとともに、その典拠をのりこえて、どのような独自の世界が創造され、構想されたかという点にまで鑑賞眼をひからし、翻案文学の妙味というものを十分味読してくれるであろうというのが、秋成の計算であり、「雨月物語」のひとつのねらいであった。その意味から言えば、「雨月物語」はインテリの文学であり、主知主義の文学であった。(角川ソフィア文庫 解説p347)

それを考えると、芥川や谷崎が感心するのも納得である。今の日本の作家でこのような作品を書きうる人は誰かいるだろうかと考えてみて、あまり浮かばなかった。少し考えてみよう・・・。

 

・今後も不定期で#ある日常ある読書として今回のような記事を書いてみようと思う。拙い内容ですが自分の備忘録的なものも兼ねるのでお手柔らかに願います。