備忘録、的なもの

本との日常 購入日記その他

自分の文学的揺籃期について

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

さてもう一つ。この10年というお題があるようだが、しかし、この10年については色々な制約であまりにも書くことが難しい。そこで、自分が何でこんな感じになったのかという揺籃期がだいたい10年くらいになるので、それを書いてみることにしよう。

自分が物心ついたのがいつなのかはわからないが、絵本やその類のものを除いて最初に親に買ってもらった本は岩波文庫の「ジーキル博士とハイド氏」であった。確か小学校5年生くらいであったように思う。しかし、何故この本がチョイスされたのかわからない。おそらく中学受験予備校で勧められたのであろうか。しかしそれを当時読んだ記憶はない。

学年が上がると、国語の授業でいわゆる"文学"作品が使われたり、読書感想文で課題図書として上がったりするようになってきた。最初に自分のお金で買ったのは宮沢賢治の「風の又三郎」でした。国語の授業で「やまなし」を扱ったのと、読書感想文の課題に挙がっていたのがあったのだと思う。そこで初めて文庫に触れ、読書って面白いんだと知った。巻末に文庫収録作品表が載っていて、他のも買ってみようという気になり、新潮文庫で出ていた他のものに手を出した。しかし、自分のお小遣いとはいえ、最初は本を買うことに対して罪悪感を感じていて、買った当初はばれないように隠していた。
一昔前(といっても高度成長期前後くらいであるが)、全集ブームというのがあり、一家に一セット文学全集という時代があった。うちの祖父の家には河出書房のカラー版の全集がそろっていた。一度、これも読書感想文の影響で「天平の甍」を読まなければならなくなり、借りた記憶がある。母もその全集を読んで育ち、文学については何かしらの知識があり、むしろマンガを読んだりゲームにしけこんだりするよりはよっぽどいいだろうということで、別に本を読むということについてはあまり口出しはしなかった。文庫本を買ったことは早々にばれていたが、特に何も言われず、目をつぶっていた。

中学に上がり、今度は筒井康隆にはまった。最初に手に入れた文庫は「最後の喫煙者」であったが、どの経路で手に入れたか正確には覚えていない。中学の文化祭で、図書館が不要になった本を無料であげますという企画をやっていて、それで手に入れたと思われる。その文庫の冒頭に「最後の喫煙者」が入っていて、その後の作品も含め、すべて面白かった。そこからマンガを買うので使いだしたブックオフや新刊本屋を駆け巡り、その時点で入手可能な文庫をあらかた揃えてしまった。その時点から収集癖は開花しているようである。その過程で、新潮文庫の目録を本屋で手に入れ、色々パラパラめくって読んでいた。今と違ってまだ文学作品が多少は残っていた時代であり、読んでいて面白かった。その目録からであったり、TBSラジオの朗読コーナーだったり、同級生からであったり、方々から知識を仕入れるようになり、本をさらに買いだすこととなった。しかし、その時点ではあまり文学作品に対して手を出すということはなく、筒井や石田衣良村上龍乙一なんかを読んでいた(今思い返せば「トイレのタバコさん」好きだったなあ)。村上春樹もちょうどその頃「海辺のカフカ」が出て話題となっていたので買ったが、性的描写しか頭に入ってこなかったのと、「風の歌を聴け」を図書館で借りて読んだがさっぱり理解できなかった(というのが頭にこびりついて、偏見のみでこの後しばらく手を出さなかった)。
その後も、国語の授業で出て面白いものがあればその関連のものを買ったりする(三島、太宰、鴎外など)が、あまりそちらには手は触れずという感じであった。また、男子校あるあるだと思うが、クラス内でラノベが流行り、エロゲも流行り、そのノベライズも手を出し(よく買えたもんだな)という感じであった。
高校に入り、父から電子辞書をもらった。とある事項を調べると、ジャンプボタンで関連の事項に飛ぶことができというのが面白く、いつまでも見飽きなかった。別に三島由紀夫の真似をしたというのではないが、ヒマがあれば辞書で遊んでいた。その過程で、プルーストの関連事項で中村真一郎が出てき、それが中村真一郎との出会いであった。しかしその時点では作品を手に入れてはいなかったが、その事項そのものは記憶にこびりついた。このころは島田雅彦などを読んでいたと思う。それと、氷室冴子の「海が聞こえる」にもはまった。津村千沙のような女性に転がされたいと思った。それとまた今思い出したのだが、こちらはマンガであるが「藍より青し」のティナも好きであった。この頃は年上の女性に引っ張ってもらいたい願望があったのであろうか。
そんなこんなで、勉強が身に入るわけでもなく、当然現役で医学部に受かるわけもなく、浪人することになり、駿台の市谷校に通い始めることとなった。しかし授業はつまらないし、友達もおらず、校舎内も殺伐としていて、日常は予備校と家との往復だけであった。家に帰れば親は不機嫌だし、勉強する意欲も湧かないし、そもそも何でこんなことを自分はやっているのだろう、大学行かなくちゃだめなのかな、などと思っていた。そうこうしているうちに一年経ち、現役時代よりセンターの点数は下がり、当然大学は受からず、二浪になった。
親からは二浪で受からなかったら工学部でも何でも行きなさい、これ以上は浪人するのは許さんと言われ、余計気分は沈み、だんだん何で生きてるんだろうなあと思い始めるようになった。最寄り駅の階段をマリオの幅跳びみたいに飛んだら簡単に死ねるなあなどと考えてたりしていた。しかし実際飛ぶのは怖い。
悶々と日々を過ごしていた中でも、ブックオフ通いは続けていた。まっすぐ家に帰るのが嫌だったからというのが主な原因であった。その時点でのブックオフでのターゲットとしては、絶版文庫を探したり、マンガを買ったりというものであった。しかし今思えば買っていたものは何でそういうチョイスなのだろうかというものが多い。ある日、文学全集の端本が転がっているのをたまたま見つけた。尾崎士郎坪田譲治の巻であった。ふうん、どっちも今は入手が難しい人たちだなと思って、何を思ったか、箱から本を出してふと読んでみると、これがとても面白い。ちょうどその巻に入っていたのが「人生劇場」と「風の中の子ども」であった。読み進めていくうちにこのままだと帰れないことになると思い、買うことに決めた。値札をみると、105円。そして棚を見ると、まだ何冊もあった。ラインナップをみると、今は絶版になっているものが多数ある。そして何より面白いし、まだ知らない作品がたくさんあるじゃないか。何でこのようなものが100円で。これを読むまでは死ねないなあ。ということで希死念慮が一気に去ったのであった。簡単なものね。
そこからブックオフに行っては持っていない全集の巻を集めだした。そして部屋には何だかよくわからない古本がどんどん積み上がっていき、成績も上がらず友達もいるわけではなさそうな息子をみて、母は息子は正気だろうかと本気で思っていたらしい。息子としてはこれまでの自分といまの自分は違うんだと思っていたにも関わらず。
しかしいま振り返ってみると、その時期は一番確かにやばかったのであろう。日記がかなり残っている。何かをぶつける相手がいなかったから、寝る前の時間を惜しんで日記を書いていたのであった。受験が終わり、合格し、落ち着いてからは記載がかなり減った。
そして、この年は何とか大学に入ることができた。大学生になり多少は金銭も余裕ができてきたことと、文学全集を漁った結果、文学に対しての知識が多少はついてきてしまい、いわゆる文学全集に飽き足らなくなったため、古本市にも顔を出すようになった。神保町は二浪の時から通いだしたが、早稲田や高円寺にも顔を出すようになった。大学一年の時に今はなき池袋西口公園古本祭りにて中村真一郎小説集成をみつけ、中村真一郎とついに再会を果たした(ちなみにその本屋に「これを全部読んだら変になってしまうかもしれないよ」と言われた。今の時点ではまだ"変"になっていないはずである)。
その後は興味に従って色々と本を買い増していき、今に至る。結局本を色々買いだす契機となったのは浪人時代のブックオフでの出会いである。そう考えてみると、ブックオフに救われたようなものである。今後も大事にしていきたい(あれ、そういう話だったっけ)。

 

以上、長々とした話におつき合いいただきありがとうございました。
みなさん、本との出会いは色々なところに転がっていると思います。それを見落とさないように。そして、その出会いを大切に。